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本田ルーカス剛史のプロフィール!父は外国人?なぜルーカス?

フィギュアスケート スケート

北京オリンピック出場をかけて、全日本フィギュア選手権が盛り上がりを見せていますが、本田ルーカス剛史選手のミドルネームが気になる方が多いようです。ハーフなのでしょうか?この記事では、本田ルーカス剛史選手のwikiプロフィール!父が外国人?なぜルーカス(ミドルネーム)なの?というテーマで調査してまとめました。

また、記事の後半では本田選手の動画を掲載しておりますので、合わせてチェックしてみて下さい♪

本田ルーカス剛史のwikiプロフィール

本名:本田ルーカス剛史(ほんだルーカスつよし)
生年月日:2002年9月15日
身長:170cm
血液型:AB型
競技開始:小学2年~
高校:綾羽高校
出身:大阪府
所属:木下アカデミー
本田ルーカス剛史さんは、2002年生まれのフィギュアスケートジュニア選手です。
現在は綾羽(あやは)高校に通っている高校生です。
綾羽高等学校は、滋賀県草津市にある私立高校です。
全日制、昼間定時制、通信制の3つの通学スタイルから選べる学校です。
本田ルーカス剛史選手は、日中はスケートの練習をするために、通信制を選んでいるのではないでしょうか。
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本田ルーカス剛史はハーフ?なぜルーカス?

本田選手の名前にミドルネームが入っているのは、家系に日系ブラジル人がいる事からつけられたとの事でした。本田選手自身は日系ブラジル4世になります。

父親も母親も日本人、本田選手は純粋な日本人!
本田ルーカス剛史選手はハーフではありません。
国籍は公表されていませんのではっきりしたことは言えませんが、インタビューで両親は日本人と話していたので日本国籍の可能性が高いと思われます。

私の周りにも日系ブラジル人のお友達がいますが、国籍を尋ねたら日本国籍とのこと。
彼女もミドルネームを持っていました。
本田ルーカス剛史選手の場合、競技大会で氏名を公開しているので、ミドルネームの存在が明らかになったわけですね♪

本田ルーカス剛史の父は外国人?

さて、本田選手の父親についても、どんな方なのか調査してみましたが、お父さんに関する情報は得られませんでした。本田選手が本格的にスケートを始める前に、スケート場に連れていってくれたのはお母さんだったようで、お父さんがスケート選手という感じではなさそうですね(あくまでも推測ですが(;’∀’)

今後、メディアに露出が多くなってきたら本田選手の父母の姿を見かける機会があるかもしれませんね♪

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本田ルーカス剛史スケートのきっかけは?

ルーカス選手は、6歳の時に幼なじみの友達のお母さんに連れられて、初めてスケートを体験しました。神戸にあるポートアイランドのスケートリンクです。

力を入れなくても勝手に進んでいく不思議な感覚に魅了され、スケートにハマってしまったようです。

それ以来、母親の仕事が休みの時にはスケート場に連れて行ってもらい、一日中、滑っていました。飽きっぽい少年時代、他のどの習い事も長く続きませんでしたが、スケートだけは長く続いたようです♪それだけ、フィギュアスケートの魅力があったんですね!(^^)!

その後、大阪にある浪速のリンクで、山下艶子先生の教えているスケート教室に入り、そこからルーカス選手の本格的なスケート人生が始まりました。
それが小学2年の時です。他のジュニア選手と比べると比較的遅いスタートでした。ところが、そもそも負けず嫌いの性格なのか、最初に出た大会で5人中2位、悔しかったので3か月後の大会までに一生懸命練習しました。その結果、2回目の大会では優勝します。その後、2回転の連続ジャンプを習得小4の10月には、近畿選手権大会に初出場を果たします。

初参加の第16回全日本ノービス選手権大会では、緊張していつも通りの演技が出来ず13位という結果に終わりました。それが悔しくて、そこからルーカス選手のスケートへの取り組みが真剣(それまでも真剣だったわけですが、それ以上に)なります。

翌年、小5の7月にあった野辺山合宿に参加した結果、その年の全日本ノービス選手権のシード選手として選ばれ出場します。ダブルアクセルが跳べれば、表彰台に手が届くという状況でしたが、ジャンプの完成が間に合わず、全日本ノービスでの結果は、3位と0.11点という僅差で4位でした。負けず嫌いのルーカス選手は、又また一生懸命練習に打ち込むことになります。翌年、小6の全日本ノービスAでは5位に入賞。ところが、この年の全日本への推薦は4位まででルーカス選手は次の大会に進むことが出来ませんでした。ルーカス選手は、来年は表彰台に上ると誓って練習に励みました。

2018年、中学時代の全国中学生大会(全中)ではSP1位、FS3位
高1のインターハイでは5位に食い込み、国体では少年男子8位に入賞するなど素晴らしい戦績を残しています。

2019年12月開催の全日本選手権には17歳で出場しており、トータルスコア194.75、高橋大輔選手を上回る11位で終えています。

ここまでの経緯をみても本田ルーカス剛史選手は、あともう少し!というところで入賞を逃したり、うまくいったりと、うまい具合に神様が飴とムチを使い分けて、ルーカス選手が上手くいくように応援しているみたいに感じたのは私だけでしょうか( ´艸`)

ルーカス選手は頑張り屋さんだなぁと感じました。

ソースはコチラ▼
https://lakesmagazine.jp/2020/09/29/lav0056/

本田ルーカス剛史選手の主な戦績はコチラ▼
2019年の戦績
  • びわこカップ(ジュニア)FS115.11 優勝
  • 近畿選手権(ジュニア)トータル171.53 2位
  • 西日本選手権(ジュニア)トータル191.19 2位
  • 全日本ジュニア選手権トータル194.75 3位
  • 全日本選手権トータル209.96 11位
2020年の戦績
  • 2020年:バヴァリアンオープン(Jr)3位
  • 2020年:ジャパンオープンFS137.99優勝

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最後になりますが、本田ルーカス剛史選手のスケーティングの動画を紹介します。
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本田ルーカス剛史のプロフィール!父は外国人?なぜルーカス?のまとめ

以上、本田ルーカス剛史のプロフィール!父は外国人?なぜルーカス?をお送りしました。

本田選手は、大阪出身の日系ブラジル4世でした。
家系に日系ブラジル人がいるためルーカスというミドルネームを持つとの事。
ご両親、共に日本人との事で、本田ルーカス剛史選手はハーフではありませんでした!

また本田選手の父親は外国人ではなく、日本人です。

 

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